- 2007-07-23 (月) 15:44
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概要
草薙剣(くさなぎのつるぎ・くさなぎのけん)というのは別称で、正式には天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とされる。三種の神器の一つで、熱田神宮の神体である。
都牟刈の大刀(つむがりのたち)・八重垣剣(やえがきのつるぎ)とも称される。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。
ちなみに三種の神器とは
- 八咫鏡(ヤタノカガミ)
- 八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)
- 天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)(草薙剣)
である。
神話における記述
スサノオ(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀。剣はスサノオからアマテラス(天照大神)に奉納され、天孫降臨の際にニニギ(瓊瓊杵尊)に手渡された。
以降、皇居内にアマテラスの御神体として八咫鏡(やたのかがみ)とともに祀られていたが、崇神天皇(紀元前148年-紀元前30年)の時代に皇女トヨスキイリビメ(豊鋤入姫命)により八咫鏡とともに皇居の外に祀るようになり、途中で垂仁天皇(紀元前69年-70年)の皇女ヤマトヒメ(倭姫命)に引き継がれ、あわせて約60年をかけて現在の伊勢神宮内宮に落ち着いた。(詳細記事:元伊勢)
その後、ヤマトヒメから、東国の制圧(東征)へ向かうヤマトタケル(日本武尊)に渡された。東征ののち、尾張で結婚したミヤズヒメ(宮簀媛)の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、山の神によって病を得、途中で亡くなってしまった。ミヤズヒメは剣を祀るために熱田神宮を建てた。
名前の由来
諸説あるが、詳細は不明。
天叢雲剣
一部の『日本書紀』にある説より。ヤマタノオロチ(八俣遠呂智)の頭上にはいつも雲がかかっていたので「天叢雲剣」と名付けられた。
神剣を気軽にヤマトタケルに預けてしまう点、神剣で草を薙ぐなどあり得るかという疑問などから、「天叢雲剣」「草薙剣」の二剣が歴史的には別の剣ではないかという議論が起こった元にもなっている。
草薙の剣
「草を薙いだ剣」
ヤマトタケル(日本武尊)が伊勢神宮でこれを拝受し、東征の途上の駿河で、この神剣によって野火の難を払い、草薙剣の別名を与えた。現在はこの説が一般的。
「蛇の剣」
クサは臭、ナギは蛇の意で、原義は「蛇の剣」であるという説。神話の記述でも、この剣は蛇の姿をしたヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出て来ており、本来の伝承では蛇の剣であったとも考えられる。
ヤマタノオロチ
ヤマタノオロチは水害のメタファであると見る説が一般的である。八つの首を河川と見なすならば、それらが交わる点で水害が多発していたことはあり得ると考えられる。
オロチは水を支配する竜神を、クシナダヒメ(オロチに食べられかけた最後の娘)は稲田を表しているとみられている。すなわち、毎年娘をさらうのは河川の氾濫の象徴であり、それが退治されたことは、治水を表しているとする。また大蛇が毎年娘をさらって行ったという事は、神に対して一人の処女が生贄としてささげられていたという事であり、その野蛮な風習を廃しえたことも表している。
天叢雲剣は出雲国の古代製鉄文化を象徴するとされている。してみると天叢雲剣は鉄製であり、十拳剣(とつかのつるぎ)が天叢雲剣に当たって欠けたということは、対する十拳剣は青銅製であったことを類推させる。
当時としては最先端の技術であった製鉄、またはその結晶である鉄剣を「アマテラスに献上した」というのは、その頃の出雲と大和の関係を推し量る上で興味深いエピソードであると言える。
以上から、天叢雲剣とは製鉄に関する技術のことを指すのではないかという説もある。
十束剣(とつかのつるぎ)
「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される。様々な場面で登場していることや、「10束(拳10つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから、一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。
最も有名なものはヤマタノオロチ退治のときにスサノオが使った十拳剣(別名「天羽々斬(あめのはばきり)」。“羽々”とは“大蛇”の意味)で、ヤマタノオロチの尾の中にあった草薙剣に当たって刃が欠けたとしている。
最初に登場したエピソードは、イザナミ・イザナギの神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを出産したための火傷で死んだことに怒ったイザナギが、カグツチを十束剣で切り殺した(この剣に付着した血と肉からまた多くの神々が生まれる)。
形状
諸説ある。
錫の混じった銅剣
戦後まもなく後藤守一氏が「三種の神器の考古学的検討」という論文を発表し、この中に『玉籤集裏書』という熱田の社家4、5人が剣を盗み見た時の記録がある江戸時代の書物を紹介した。
それによると5尺(約1.5m)ばかりの木の箱に入っていて、木箱の中に石の箱があった。二つの箱の間には赤土がしっかり詰めてあった。さらに石の箱の中に樟の箱があって、その中にご神体が入っていた。そして石箱と樟の箱の間も同じよう赤土がつめてあったという。
刀身は白く両刃の剣であるらしい。
長さは二尺七寸~八寸(81~84cm)。刃先は菖蒲の葉に似ていて中程に厚みがあり、柄のほうの八寸は節くれ立って魚の背骨のようだとの記述がある。
また錆もなかったようで、色から見ても後藤氏は錫の混じった銅剣とも考えたが、当時の銅剣としては長すぎるのでこの説を躊躇したようだ。
だがその後、荒神谷遺跡から発掘された銅剣は赤土が包んであったり、少々長めだったりで北部九州の銅剣よりも荒神谷の出雲式銅剣の方が近いため話題になった。
祭祀用で七支
先の大戦末期に、機密勅令で全国の主だった寺社で米大統領を呪ったという噂がある。
高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修され、熱田神宮でも政府中枢からの相当強硬な圧力がかかり、天皇でも自由に見ることができないこの神剣が開封され、大宮司によって呪いに使われたという。
このとき記された形状は「錆びることのありえない素材」=金無垢で、さらに7つに枝分かれし、その先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げているという、材質・形状どちらも剣としてありえないものだったという。あくまでも祭祀用のとして造られたと思われる。
当時の大宮司は、自らの日記の中で御神剣が七支の形状をなしていた事実と、記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の七支の穂先と幹の突端になったのではないかとの自説を記しているという。
儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめ、そのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、御神剣を押しとどめようとした禰宜職が触れた途端、口より青い炎を上げて体が燃え上がり、骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。
あまりのことに、神職・禰宜らが取り乱す中、何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。
現在の所在
神話上重要な剣であるため、模造、偽造、盗難、消失、水没と様々な遍歴を辿った。結果、現在の所在については諸説語られている。
熱田神宮説
熱田神宮の奥深くに神体として安置されているという説。神話の記述の通りであればこうなる。
何度か熱田神宮から盗み出されたという記録が残っている。その度に何らかの祟りが起こる。
壇ノ浦水没説
平家滅亡の折に、二位の尼が腰に差して入水し、そのまま上がっていないとする説。
この時に所持していた物は宮中で元々使用されていた模造品という説がある。
宮中安置説
宮中儀式に使われているものが本物だという説。
参考文献
天叢雲剣
天叢雲剣 - Wikipedia
ヤマタノオロチ - Wikipedia
十束剣 - Wikipedia
神産み - Wikipedia
Comments:2
- 長谷川 07-12-10 (月) 19:38
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島根県の安来市にある「つべしろ」というなぞのものが解く鍵らしいです。
- masayashi 07-12-11 (火) 18:55
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>長谷川さま
少し調べてみましたが・・・かなり深いですね。興味本位での調査ではこのあたりが限界のようです。貴重な情報ありがとうございます。
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