Home > 恩地くんの話。あるいは若き日のぼくがなぜブログを書くようになったのか。

恩地くんの話。あるいは若き日のぼくがなぜブログを書くようになったのか。

  • 2008-01-07 (月) 23:58
  • Tags: , ,

恩地くんの話をします。

恩地くんとぼくは高専時代の同級生です

15歳のころ、高専一年生のころに恩地くんとぼくは出会いました。

恩地くんと初めて喋ったときのことを、ぼくは全く覚えていません。
入学当初というものは出席番号で席順が決定されることが多く、その席順において近くの席に座っている人たちがおずおずと交流を始めていくような感じだとおもうのですが、恩地くんとぼくは特に出席番号が近いわけでも席が近いわけでもなかったと記憶しています。

当時の恩地くんも、当時のぼくも、人付き合いを始めるのが苦手で、誰かから話しかけられるのを待っているようなタイプでした。そんなぼくらがどうやって友達になったのか、今となってはもう、恩地くんに尋ねることはできません。

卒業アルバムの始めのほう、一年生のときの写真がまとまっているページには、恩地くんが写っている写真があります。
その恩地くんの顔は、ぼくの記憶と一寸も違いません。

恩地くんとの対話

恩地くんとぼくが会話するときは、そのほとんどが1対1の会話でした。でも恩地くんに友人が少なかったのかというとそういうわけでもなく、ぼくと仲の良い友人グループに属している、という感じでした。

恩地くんはパソコンを自分で組み立てたりする人でしたから、ぼくの友人とCPUのクロックアップやメモリの価格について、わけのわからない話をしているのを見たことがあります。しかし、どうしてか恩地くんがぼく以外と話をしている姿はぼやけていて、あまりうまく思い出すことができません。

恩地くんとぼくが何の話をしていたかというと、それもやはり記憶があいまいです。コンピュータの話が多かったと思います。恩地くんはビルゲイツが好きで、彼の携帯のメールアドレスはそれをもじったものでした。
そういえば、恩地くんは最後まで携帯のアドレスを変更しませんでした。そこに何かこだわりがあったというよりは、単に機会がなかっただけなのだと思います。

恩地くんの友達

五年生(20歳のころ)になっても、半年に一度ほど恩地くんの話題が出ることがありました。

あるとき、当時からの友人から、恩地くんと一番仲の良かったのはぼくだったというようなことを言われ、とても驚きました。ぼくとしてはそんなことを考えたことは一度もありませんでしたし、ぼくが恩地くん以外の友人とも楽しくやっているように、恩地くんもぼく以外の友人と楽しくやっているものだと思っていました。
実際にはそうでなかったのかもしれませんし、やっぱり友人の思い違いなのかもしれません。

わざわざこんなことを書いているぐらいだから恩地くんとぼくはすごく仲が良かったのだと思われるかもしれません。しかし実際のところ、ぼくらが話をする機会はそう多くはありませんでした。

恩地くんと自転車とシャツ

恩地くんは毎日自転車で学校に通っていました。
ある日教室で「毎日自転車で長い距離を走っていると、ここの毛がなくなる。チクチクする」と言って、制服のスラックスを無理にたくし上げ、太ももを見せてくれたことがありました。

また、恩地くんは普通の制服のポリエステルの入ったシャツではなく、少しくすんだ白をした綿のシャツを着ていました。
ぼくは恩地くんが綿のシャツと黒いスラックス以外の服装をしているところを見たことがありません。
もしかしたら学園祭や部活で一度くらい見たことがあるのかもしれませんし、冬はシャツの上に詰襟を羽織っていたはずなのですが、それはきっと印象に残らないようなものだったのだと思います。

恩地くんはいつも綿のシャツでした。

彼の哲学

恩地くんは授業のノートを、無地のルーズリーフに取っていました。当時のぼくには、それがとても格好良くみえました。

あるときのぼくは、授業のノートをシャープペンシルではなく径の細い黒ペンで取っていました。恩地くんはそれを見て「いいねそれ」と言い、彼自身も黒ペンでノートを取るようになりました。
ぼくはそのことがとても嬉しく、誇らしく思ったのを、とても鮮明に覚えています。

恩地くんが勉強が出来る方だったかどうかについては、よくわかりません。

試験が三科目あるような日でも、「俺は地理だけは完璧。なぜなら試験範囲の教科書を丸暗記した。他はやっていない」と言ってしまうような人でした。
そのときの恩地くんの試験結果についてはわかりません。
ぼくは実は恩地くんは丸暗記なんてしてなかったんじゃないかなと思っています。

いなくなった恩地くんと残された彼のシャツ

二年生の夏ごろから、恩地くんが学校を休むことが多くなりました。
理由は知りませんでした。友人たちも知りませんでした。
恩地くんの椅子には、彼がいつも着ている綿のシャツがかかっていました。
それはいつの間にか、彼の机の中に押し込まれていました。

最前列の席は学生に人気がないので、必然的に恩地くんの席は教卓の前に配置されたりしていました。
後ろの方の席からは恩地くんの机の中が見え、その中に綿のシャツがくしゃくしゃに押し込まれているのが見えました。
後日の話では、当時の友人たちは机の中に押し込まれた恩地くんのシャツについては良く覚えているようでした。

ぼくらは二年生になり、三年生になりました。
恩地くんは三年生にはなりませんでした。
明らかに出席日数が足りていなかったので、ぼくらはやっぱりなと思いました。
彼のシャツがどうなったのかはわかりません。

もうひとつ、恩地くんの残したもの

一年生の五月頃、恩地くんとぼくが交流を持つようになって一ヶ月ほどしたころのことです。
恩地くんもぼくもインターネットに落ちている面白いことが好きだったので、URLを貼ったりローカルな話題をまったりと楽しむ目的で、レンタル掲示板のアカウントを取りました。

恩地くんは『XEON』というハンドルネームでした。XEONとはインテル系CPUの名称で、その読み(ジーオン)が自分の名前をもじったものに近いから、と彼は言っていました。
ぼくの当時のハンドルは、『まーもー』だったと思います。

その後、掲示板へのリンクを貼ったホームページが作られ、日記、テキスト、リンク集などの定番のコンテンツが加えられていきました。2001年のことです。
掲示板には他の友人たちが加わり、妙な縁が形作られていきました。
ぼくが初対面の人に「『まーもー』の人かー」などと言われるようになったころ、恩地くんは次第にフィードアウトしていきました。

ぼくはとりあえず、何度か途切れたり、ブログを何度か移転したりしながらも、書き続けてみました。
それはけっこう楽しい行為だったので、七年ほど続くことになりました。

恩地くんのカラオケ

そういえば一度だけ、学校帰りに恩地くんとカラオケに行ったことがあります。
恩地くんは、低い声で、マジンガーZを歌っていました。

そのときのことはもうほとんど思い出せないのですが、学校帰りだったということだけは覚えているので、
きっと恩地くんはあのときも、白い綿のシャツを着ていたのだろうなと思います。

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackback+Pingback:0

TrackBack URL for this entry
http://www.masayashi.com/2008/01/07/528/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
恩地くんの話。あるいは若き日のぼくがなぜブログを書くようになったのか。 from 王様の箱庭

Home > blog > 恩地くんの話。あるいは若き日のぼくがなぜブログを書くようになったのか。

アカウント所有サービス
検索
クリック募金

クリックするだけでスポンサー企業を通して無料で募金が行えます。
あわせて読みたい

あわせて読みたい
ここ一週間の起床時刻

早起き生活
こまごまとしたもの

track feed