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やらなきゃならないことの最大公約数はパン屑を落とさず旅に出る

「君と僕との最大公約数はごにょごにょ」といった要旨の歌をどこかで聴いたなあ、たぶんバンプオブチキンあるいはポストパンプオブチキンな歌い手によるものであったような気がする、それにしても人と人とは最大公約数ではなくて、公倍数的な広がりを持っているものではなかろうか、というようなことをシャワーを浴びながら考えた。

今日は二度猫を撫でた。夜で、雨である。四月に降る雪とは何の本で読んだ文句であったろうか。

M2になった。M2という語句は一般的には通じないものである。マスター二年生、修士二年生、博士前期課程二年目といった意味であり、要は大学院二年生である。年を取れば取るほど年月が過ぎるのを早く感じると言うが、ぼくは今のところ年々この感覚が逆に進んでいる。一年が長くなるというのは、つまり一年の密度が濃くなっていっているということなのだろう。ありがたいことである。

「あらゆるプロジェクトを成功させるための秘訣は、ノウハウやテクニックというよりは、やるべきことをちゃんとやるという一言に尽きる。いくつかの集団でのものづくり体験の中で、いちばん痛感した点がこれである」といった主張を、就職面接でお褒め頂いた。まったく、当たり前のことを、よくもいけしゃあしゃあと述べ下したものである。誰もが知っているであろうこの当たり前の法則を、あえて文字に起こして主張することの意味を察していただけたのであれば感無量。

「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」
とはボブディランの歌にある文句であり、映画アイデン&ティティでは作品の根幹を支える文句として機能した。なるほど、上手い詞とはそういうことか。

posted on 2009-04-02 09:09 | Tags :

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ある半月,拙者,東京にて。

昨日、月を見た。もう少しで半月になろうという月。バームクーヘンのようだった。月が一番美味しそうに見えるのはどのくらい満ちたときだろうなと考えた。

今は新宿のネットカフェにいる。ここに来るのは三度目で、三度行ったことのあるネットカフェはとても少ないが、そのうちのひとつが自宅である奈良から遠く離れた新宿にあるというのは妙な気分である。

今日は原宿でM社の面接だった。書こうかなと思うことはたくさんあるが、就職活動や教習所といったローカルな話題を面白げにネットに公開することには(当人には非はないが)見ていてあまり愉快とは思わないので、「まあ受かればいいよなあ」と、この春も非常に多くのリクルートスーチャーの口端に挙がるだろう言葉でよしとしようか。

「要するに、原宿はアメ村なんだね」
「そうね」
「土地勘がないと、ただのめんどくさい街だね」
「そうね」

原宿竹下通り前の吉野家で夕食の牛丼大盛りを食す。東京に来るたびに感ぜられるのは、都心のファーストフードでは外国人が(関西に比べて)多く働いているということである。とても上手に日本語を話す。これが国際化というやつかと思う。「牛丼大盛り」という言葉を標準語のイントネーションで喋るとどうなるのだろうと思ったが、関西弁と変わらないという結論に至る。東京に来ると関西弁を使いたくなる。

「ごっそーさん」
「430円デス」
「まいど」

高速バス乗り場のある新宿に移動する。新宿新南口がわからず、20分ほど歩きつくす。途中、考えるのが面倒になり地図の前でぼんやりしておると20代後半の白いコートを召した女性が「すいません」、と地図を指差しながら。

「ちょっと訊いてもいいですか」
「はい。たぶんわかんないですよ」
「あ・・・ははは」
「ははは」
「サザンテラスの一階ってどう行くんでしょう」
「わかりません(にこり)」
「どうも(ぺこり)」
女、去る。男、ぼんやり。

己が目的地である新宿新南口とはまったく直角方向に歩いていたことに気づき、やれ戻ると頭上に「←新宿新南口」の表示あり。これは助かったわいと高速バス乗り場にたどり着くも、バスの出発時刻である22時半まで2時間ほどある。ここは麦酒でもいただきましょうか、それともネットカフェでしょうか、麦酒の缶を買うてネットカフェというのもよろしおすなあ。などと考え新宿界隈をうろつくも、奇妙にどこにも入る気にもならず、コンビニに入ればなにも買う気にならず、あちらでもないこちらでもないと同じ道を往復してみたり、駅前に立ち尽くして巨大液晶を眺める振りをしてみたりするうちに、どうにも腰が疲れた。もうだめだ。俺はここでくたばるのか。

なんとはなしに眺めた地図に、「サザンテラスロ」という文字を見つけ、先刻のコートの女性を思い出す。「サザンテラスロ」という文字が「さざんてらすろ」ではなく「さざんてらすぐち」であるという発見の後、あの女性は拙者のように無事目的地を見つけることができたのであろうか、と刹那考える。どことなくテスラコイルを髣髴とさせる響きである。サザンとはすなわちSouthernであり、南の、という意味を示す。なるほど、新宿南口の付近にあるテラスのことか。それにしても疲れたので、やはりネットカフェに向かうことにする。麦酒はやめだ。俺は疲れているのだ。

電飾を辿り入ったネットカフェはどこか見たことがある、はて面妖な、拙者はこれと酷似したネットカフェに過去に二度来店したことがある。一度は連れ合いと、もう一度は学友と来たので覚えがある。しかしそれらは駅からずいぶん離れた位置にあるはずぞ。新宿の時空は歪んでおる。などと呟きながら地下への階段を下りる。

「喫煙席でのご案内となりますがよろしいでしょうか」
「あい」
「ご利用時間はお決まりでしょうか」
「二時間くらいです」
「二時間を越えますとこちらの三時間パックのほうがお得となりますがいかがでしょうか」
「越えないです」
「よろしいですか?」
「越えないです」
「○番の席へどうぞ」

私の体には自覚を越えた疲労が蓄積しているようだった。フラットブースに横たわると腰がじんわりと血流を循環させた。さて、読みたい漫画はない。ここはブログでも書いて恥を晒そうかと思い、現在に至る。あと30分ほどすればこのネットカフェを出て、新宿新南口に向かい、バスを待つだろう。今宵のバスは四列シートである故、疲労は完全には回復しないかもしれない。明日は明日で、N社の面談が待ち構えている。まったく、真綿のような忙しさよのうと思いながら、紙コップのペプシコーラをごくりとやる。

新宿新南口を求め彷徨っていたとき、月を見た。見事な半月であった。いまさら東京に新鮮味はないまでも、まあそれなりに遠くに来たことよのうと思っていたが、なんのことはない、同じ月だ。ほのかに甘そうな、しっとりとした、よい月だった。「この月を見るために東京へやってきたのだ」、そう思うと、少し報われたような気分になった。

posted on 2009-04-03 10:00 | Tags :