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納豆ばかり食っててもいいのか

午前8時、自宅に向かう電車に乗る。
JRから近鉄に乗り換えて、寝る。

駅から家まで、徒歩で30分ほどの道を歩く。
途中で煙草を吸って、スーパー(グルメシティ)の吸殻入れに捨てる。
ガスコンロの缶が尽きていることを思い出し、スーパー(グルメシティ)に立ち寄る。
スーパー(グルメシティ)は特売日(木曜の市)らしく、すべてのレジに客の列。
Uターンしてスーパーを出る。ガスが使えなくたって死にはしないのだ。

ヘッドフォンの向こうで、Theピーズが歌っている。
「納豆ばかり食っててもいいのかー いいのかー」
小声で歌いながら坂道を下る。
ときどき後ろに人がいないか確認する。
歌っていることに気づかれると恥ずかしいからだ。
「納豆だけで満足できるのかー いいのかー」

歩きながら考える。
森博嗣が「芸術の条件は非生産的であること」といったような文章を書いていたことを、ふと思い出す。
同意見だが、一般的には受け入れられにくい観点であるように思える。
「非生産的」という言葉に、悪い意味が含まれるような気がするからだろうと思う。

非生産的、芸術、贅沢、無駄、といった単語が浮かぶ。
贅沢の条件は無駄であること、というのは誰が書いていた言葉だったろうか。
芸術と非生産的と贅沢と無駄の接する領域について考える。

無駄という概念の、とてもピュアな部分だけを取り出したものは、すごく綺麗なものであるような気がする。
どんな形だろうか。
球だろうか。いや、きっと立方体であるような気がする。

純粋に非生産的で無駄な仕事というのは、最も人間らしい仕事だなと思う。
人間しかやらないだろう。

「必要条件」と「十分条件」が、どういう定義だったか思い出せないことがよくある。
きっと僕が左利きだからだろう。
火曜と金曜の区別がつかないことも、そのせいだ。

午後8時、イオンまで自転車を走らせる。
三階の本屋で文庫本を三冊と漫画を五冊書い
二階のペットショップで猫をからかって
二階のフードコートで水だけ飲んで
一階の喫茶店で本日のコーヒーを頼み
漫画を読む。

ふたつ隣の席の、男ふたり組の会話に耳を傾ける。
片方は相槌ばかりついている。
「店が儲からんねん」
「だから友達を連れてきた店員にはレジを任せん」
「ちょろまかすかも」
「そもそも人生って楽しいことより悲しいことの方が多いんよ」
「実際のとこな。ほんま」
「だから楽しいこと増やすために女友達を作りたいねん」
「郡山に店開いたら儲かるんちゃうかな」

一時間ほど漫画を読んで、長ネギと舞茸と人参を買う。
ガスコンロの缶も買う。

posted on 2010-02-25 23:03 | Tags :