午前8時、自宅に向かう電車に乗る。
JRから近鉄に乗り換えて、寝る。
駅から家まで、徒歩で30分ほどの道を歩く。
途中で煙草を吸って、スーパー(グルメシティ)の吸殻入れに捨てる。
ガスコンロの缶が尽きていることを思い出し、スーパー(グルメシティ)に立ち寄る。
スーパー(グルメシティ)は特売日(木曜の市)らしく、すべてのレジに客の列。
Uターンしてスーパーを出る。ガスが使えなくたって死にはしないのだ。
☆
ヘッドフォンの向こうで、Theピーズが歌っている。
「納豆ばかり食っててもいいのかー いいのかー」
小声で歌いながら坂道を下る。
ときどき後ろに人がいないか確認する。
歌っていることに気づかれると恥ずかしいからだ。
「納豆だけで満足できるのかー いいのかー」
☆
歩きながら考える。
森博嗣が「芸術の条件は非生産的であること」といったような文章を書いていたことを、ふと思い出す。
同意見だが、一般的には受け入れられにくい観点であるように思える。
「非生産的」という言葉に、悪い意味が含まれるような気がするからだろうと思う。
非生産的、芸術、贅沢、無駄、といった単語が浮かぶ。
贅沢の条件は無駄であること、というのは誰が書いていた言葉だったろうか。
芸術と非生産的と贅沢と無駄の接する領域について考える。
無駄という概念の、とてもピュアな部分だけを取り出したものは、すごく綺麗なものであるような気がする。
どんな形だろうか。
球だろうか。いや、きっと立方体であるような気がする。
純粋に非生産的で無駄な仕事というのは、最も人間らしい仕事だなと思う。
人間しかやらないだろう。
「必要条件」と「十分条件」が、どういう定義だったか思い出せないことがよくある。
きっと僕が左利きだからだろう。
火曜と金曜の区別がつかないことも、そのせいだ。
☆
午後8時、イオンまで自転車を走らせる。
三階の本屋で文庫本を三冊と漫画を五冊書い
二階のペットショップで猫をからかって
二階のフードコートで水だけ飲んで
一階の喫茶店で本日のコーヒーを頼み
漫画を読む。
ふたつ隣の席の、男ふたり組の会話に耳を傾ける。
片方は相槌ばかりついている。
「店が儲からんねん」
「だから友達を連れてきた店員にはレジを任せん」
「ちょろまかすかも」
「そもそも人生って楽しいことより悲しいことの方が多いんよ」
「実際のとこな。ほんま」
「だから楽しいこと増やすために女友達を作りたいねん」
「郡山に店開いたら儲かるんちゃうかな」
一時間ほど漫画を読んで、長ネギと舞茸と人参を買う。
ガスコンロの缶も買う。