30
0410

勃起と潜水は似ている / 限りなく青に近いブルー

フルチンでパンツ探して納屋に行く

白木屋で貧乏自慢を聞いている

鼻歌を曲がり角から歌いだす

ジョジョ立ちを練習してもひとり

現実を拡張せしめる端末を触るこの手のリアリティー

深夜二時 消えたお香を じっと見る

集金の名前にまっすぐ線を引く

ローションの瓶にくるりのステッカー

電車の中で彼女がつぶやいたのはメガフォルテッシモ

業務後に一発芸の練習をしてるの傍目にビールを取り出す

自動販売機の前で黙り込む 星座盤片手に持ったまま

– – –

ということで俳句・短歌ブーム来たる。
ちょう楽しい。

– – –

新社会人としても楽しくやっております。
アウトプットすることは特にない。
でもそれって、別に悪い傾向というわけでもないのだなあと思ったりもする。

ぼくは世界のために何がやりたいのかなあ、などと大それたことを考えてみたら
「アフリカ的なところに学校を建てたい」
などという返答。
学校建てるのっていくらくらいかかるんだろう。
保育所くらいならどうにかならんかなあ。
自宅や車も別に所有したいとは思わないから、なんとかならんもんか。

無駄を好み、過分な贅沢を嫌う自分の性向は矛盾しているように思えるが
同時にその矛盾が自分の本質であるような気もしている。

思考が浅いだけだろうと見る向きもある。
若さゆえ、というやつだろうか。
仙人と呼ばれたい。

posted on 2010-04-30 22:59 | Tags :

25
0210

納豆ばかり食っててもいいのか

午前8時、自宅に向かう電車に乗る。
JRから近鉄に乗り換えて、寝る。

駅から家まで、徒歩で30分ほどの道を歩く。
途中で煙草を吸って、スーパー(グルメシティ)の吸殻入れに捨てる。
ガスコンロの缶が尽きていることを思い出し、スーパー(グルメシティ)に立ち寄る。
スーパー(グルメシティ)は特売日(木曜の市)らしく、すべてのレジに客の列。
Uターンしてスーパーを出る。ガスが使えなくたって死にはしないのだ。

ヘッドフォンの向こうで、Theピーズが歌っている。
「納豆ばかり食っててもいいのかー いいのかー」
小声で歌いながら坂道を下る。
ときどき後ろに人がいないか確認する。
歌っていることに気づかれると恥ずかしいからだ。
「納豆だけで満足できるのかー いいのかー」

歩きながら考える。
森博嗣が「芸術の条件は非生産的であること」といったような文章を書いていたことを、ふと思い出す。
同意見だが、一般的には受け入れられにくい観点であるように思える。
「非生産的」という言葉に、悪い意味が含まれるような気がするからだろうと思う。

非生産的、芸術、贅沢、無駄、といった単語が浮かぶ。
贅沢の条件は無駄であること、というのは誰が書いていた言葉だったろうか。
芸術と非生産的と贅沢と無駄の接する領域について考える。

無駄という概念の、とてもピュアな部分だけを取り出したものは、すごく綺麗なものであるような気がする。
どんな形だろうか。
球だろうか。いや、きっと立方体であるような気がする。

純粋に非生産的で無駄な仕事というのは、最も人間らしい仕事だなと思う。
人間しかやらないだろう。

「必要条件」と「十分条件」が、どういう定義だったか思い出せないことがよくある。
きっと僕が左利きだからだろう。
火曜と金曜の区別がつかないことも、そのせいだ。

午後8時、イオンまで自転車を走らせる。
三階の本屋で文庫本を三冊と漫画を五冊書い
二階のペットショップで猫をからかって
二階のフードコートで水だけ飲んで
一階の喫茶店で本日のコーヒーを頼み
漫画を読む。

ふたつ隣の席の、男ふたり組の会話に耳を傾ける。
片方は相槌ばかりついている。
「店が儲からんねん」
「だから友達を連れてきた店員にはレジを任せん」
「ちょろまかすかも」
「そもそも人生って楽しいことより悲しいことの方が多いんよ」
「実際のとこな。ほんま」
「だから楽しいこと増やすために女友達を作りたいねん」
「郡山に店開いたら儲かるんちゃうかな」

一時間ほど漫画を読んで、長ネギと舞茸と人参を買う。
ガスコンロの缶も買う。

posted on 2010-02-25 23:03 | Tags :

23
0110

フランスのテレビ

壁から付箋が剥がれ落ちる
はらり
そんなものにいちいち虫の知らせを感じてはいられない

黒縁メガネ
くるり
数年前までは同じ引き出しに入っていた岸田と竹若

食中毒の短大生
ピロリ
ビチグソで彼氏に逢えないの 今日は焼酎

じゃじゃ丸 ピッコロ
ぽろり
古いぬいぐるみの感触 手垢に固まった毛先の感触

ポリエチレンのモノサシ
しなり
飛ばす消しゴムあの席へ

posted on 2010-01-23 17:05 | Tags :

25
1110

ウェルカムキョート・シュレック

会社帰りに、女性ばかりの30人ほどの外国人の集団とすれ違う。
みんな被り物をしている。
シュレックの被り物だけが、かろうじて認識できる。
あとは熊的なやつ、ウサギ的なやつ、ひつじ的なやつ。
USJからの帰りなんだと理解する。
23時前。

最後尾の女の人の表情は、どこか悲しそう。
遊び疲れただけじゃない、どこか悲しそう。
阿修羅像の右側の顔に似て、下唇を噛むとしっくりきそうな表情。
ウェルカムキョート

イヤホンからはフジファブリックの「赤黄色の金木犀」のサビが流れていて
このiPodというやつはまこと気が利いておることよのう、と思う。

posted on 2010-11-25 15:44 | Tags :

02
1110

ヒゲの駄目人間は沖縄で雪見をするか

剃るタイミングを失ったまま、顎のヒゲが生えている。
もう一ヶ月ほどになる。
ヒゲを生やそう、というのは、どういう心境だろうか。
そもそも自分はヒゲを生やそうなどと思っただろうか。
生えてくるのだ。
しょうこりもなく、しょうもないのだ。

 

今、ベッドの下からウサギが雪見大福の空容器をくわえて出てきた。
ゴミ箱から自分で取り出して、すぐどこかへ持っていってしまうのだ。
雪見大福の容器をくわえて跳ねるウサギは、とてもかわいい。

 

穂村弘の、駄目な大人っぷりがとても好きだ。
おやすみプンプン、古谷実、村上春樹。
この部屋にある、ぼくが好きな作品には、駄目な人間がよくでてくる。
とても好きだ。
自分はまだ駄目じゃない、と思いたいのだろうか。
駄目な側の世界に属する自分でも、まあなんとかやってけると思いたい。

あなたは駄目ではない、むしろ反対だ、そのようなことを言われるたびに
中東の廃墟にひとりぼっちで残されたような気分になる。

 

沖縄居酒屋では、ブルーハーツが中期に発表したアルバムが流れている。
「俺は俺の死を死にたい」という、真島昌利ボーカルの曲が流れている。
世界の首根っこ押さえ/ギターでぶん殴ってやる/俺は俺の死を死にたい
厭世家は楽観的で、楽天家は悲観的だ。
沖縄に行こう。

沖縄には行かないだろう。
また雪見大福が移動している。
タバコを買いにコンビニへ。

posted on 2010-11-02 15:37 | Tags :

18
0910

M・Kにはかなわない/鴨の川のポニョ

イニシャルっていうのは、すごくキュートな観測点だなあ、と思う。
ぼくのイニシャルは M・K で、
それぞれ直角な軸に対して線対称となる。
西洋らしい、きれいなバランスだな、と思う。

イニシャル占いみたいなものがあれば、少しは興味があるのだけれど
聞いたことはないので、あまり流行っていないんだろう。
アルファベットはほとんどがシンメトリィだから
説得力を持たせにくいのかもしれない。

Q・Gなんて、少しうらやましいね。
M・Kで満足だけれど。

– – –

自宅から東へ10分ほど歩くと、鴨川に行き着く。
JR京都駅から出た奈良線が鴨川と交わる少し南に位置取り、
川を聞き何も考えない。
歳を取ったな、と思う。
こういう時間がすごく贅沢なものに感じる。

ポニョが宗介に逢いにくるシーン。
荒れた海が巨大な魚の群れとして描かれるシーン。
なぜ波が魚として描かれるのか、その理由と説得力が体験として理解できた。
夜の水面の粘度を持ったうねりを見るたび、思い出すんだろう。

posted on 2010-09-18 10:58 | Tags :

03
0409

ある半月,拙者,東京にて。

昨日、月を見た。もう少しで半月になろうという月。バームクーヘンのようだった。月が一番美味しそうに見えるのはどのくらい満ちたときだろうなと考えた。

今は新宿のネットカフェにいる。ここに来るのは三度目で、三度行ったことのあるネットカフェはとても少ないが、そのうちのひとつが自宅である奈良から遠く離れた新宿にあるというのは妙な気分である。

今日は原宿でM社の面接だった。書こうかなと思うことはたくさんあるが、就職活動や教習所といったローカルな話題を面白げにネットに公開することには(当人には非はないが)見ていてあまり愉快とは思わないので、「まあ受かればいいよなあ」と、この春も非常に多くのリクルートスーチャーの口端に挙がるだろう言葉でよしとしようか。

「要するに、原宿はアメ村なんだね」
「そうね」
「土地勘がないと、ただのめんどくさい街だね」
「そうね」

原宿竹下通り前の吉野家で夕食の牛丼大盛りを食す。東京に来るたびに感ぜられるのは、都心のファーストフードでは外国人が(関西に比べて)多く働いているということである。とても上手に日本語を話す。これが国際化というやつかと思う。「牛丼大盛り」という言葉を標準語のイントネーションで喋るとどうなるのだろうと思ったが、関西弁と変わらないという結論に至る。東京に来ると関西弁を使いたくなる。

「ごっそーさん」
「430円デス」
「まいど」

高速バス乗り場のある新宿に移動する。新宿新南口がわからず、20分ほど歩きつくす。途中、考えるのが面倒になり地図の前でぼんやりしておると20代後半の白いコートを召した女性が「すいません」、と地図を指差しながら。

「ちょっと訊いてもいいですか」
「はい。たぶんわかんないですよ」
「あ・・・ははは」
「ははは」
「サザンテラスの一階ってどう行くんでしょう」
「わかりません(にこり)」
「どうも(ぺこり)」
女、去る。男、ぼんやり。

己が目的地である新宿新南口とはまったく直角方向に歩いていたことに気づき、やれ戻ると頭上に「←新宿新南口」の表示あり。これは助かったわいと高速バス乗り場にたどり着くも、バスの出発時刻である22時半まで2時間ほどある。ここは麦酒でもいただきましょうか、それともネットカフェでしょうか、麦酒の缶を買うてネットカフェというのもよろしおすなあ。などと考え新宿界隈をうろつくも、奇妙にどこにも入る気にもならず、コンビニに入ればなにも買う気にならず、あちらでもないこちらでもないと同じ道を往復してみたり、駅前に立ち尽くして巨大液晶を眺める振りをしてみたりするうちに、どうにも腰が疲れた。もうだめだ。俺はここでくたばるのか。

なんとはなしに眺めた地図に、「サザンテラスロ」という文字を見つけ、先刻のコートの女性を思い出す。「サザンテラスロ」という文字が「さざんてらすろ」ではなく「さざんてらすぐち」であるという発見の後、あの女性は拙者のように無事目的地を見つけることができたのであろうか、と刹那考える。どことなくテスラコイルを髣髴とさせる響きである。サザンとはすなわちSouthernであり、南の、という意味を示す。なるほど、新宿南口の付近にあるテラスのことか。それにしても疲れたので、やはりネットカフェに向かうことにする。麦酒はやめだ。俺は疲れているのだ。

電飾を辿り入ったネットカフェはどこか見たことがある、はて面妖な、拙者はこれと酷似したネットカフェに過去に二度来店したことがある。一度は連れ合いと、もう一度は学友と来たので覚えがある。しかしそれらは駅からずいぶん離れた位置にあるはずぞ。新宿の時空は歪んでおる。などと呟きながら地下への階段を下りる。

「喫煙席でのご案内となりますがよろしいでしょうか」
「あい」
「ご利用時間はお決まりでしょうか」
「二時間くらいです」
「二時間を越えますとこちらの三時間パックのほうがお得となりますがいかがでしょうか」
「越えないです」
「よろしいですか?」
「越えないです」
「○番の席へどうぞ」

私の体には自覚を越えた疲労が蓄積しているようだった。フラットブースに横たわると腰がじんわりと血流を循環させた。さて、読みたい漫画はない。ここはブログでも書いて恥を晒そうかと思い、現在に至る。あと30分ほどすればこのネットカフェを出て、新宿新南口に向かい、バスを待つだろう。今宵のバスは四列シートである故、疲労は完全には回復しないかもしれない。明日は明日で、N社の面談が待ち構えている。まったく、真綿のような忙しさよのうと思いながら、紙コップのペプシコーラをごくりとやる。

新宿新南口を求め彷徨っていたとき、月を見た。見事な半月であった。いまさら東京に新鮮味はないまでも、まあそれなりに遠くに来たことよのうと思っていたが、なんのことはない、同じ月だ。ほのかに甘そうな、しっとりとした、よい月だった。「この月を見るために東京へやってきたのだ」、そう思うと、少し報われたような気分になった。

posted on 2009-04-03 10:00 | Tags :

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0409

やらなきゃならないことの最大公約数はパン屑を落とさず旅に出る

「君と僕との最大公約数はごにょごにょ」といった要旨の歌をどこかで聴いたなあ、たぶんバンプオブチキンあるいはポストパンプオブチキンな歌い手によるものであったような気がする、それにしても人と人とは最大公約数ではなくて、公倍数的な広がりを持っているものではなかろうか、というようなことをシャワーを浴びながら考えた。

今日は二度猫を撫でた。夜で、雨である。四月に降る雪とは何の本で読んだ文句であったろうか。

M2になった。M2という語句は一般的には通じないものである。マスター二年生、修士二年生、博士前期課程二年目といった意味であり、要は大学院二年生である。年を取れば取るほど年月が過ぎるのを早く感じると言うが、ぼくは今のところ年々この感覚が逆に進んでいる。一年が長くなるというのは、つまり一年の密度が濃くなっていっているということなのだろう。ありがたいことである。

「あらゆるプロジェクトを成功させるための秘訣は、ノウハウやテクニックというよりは、やるべきことをちゃんとやるという一言に尽きる。いくつかの集団でのものづくり体験の中で、いちばん痛感した点がこれである」といった主張を、就職面接でお褒め頂いた。まったく、当たり前のことを、よくもいけしゃあしゃあと述べ下したものである。誰もが知っているであろうこの当たり前の法則を、あえて文字に起こして主張することの意味を察していただけたのであれば感無量。

「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」
とはボブディランの歌にある文句であり、映画アイデン&ティティでは作品の根幹を支える文句として機能した。なるほど、上手い詞とはそういうことか。

posted on 2009-04-02 09:09 | Tags :

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0808

2008年7月30日(水) お尻が痛くて死ぬ/東京へ行くために/移動手段としての車が内包する不可能性と悲しみ

23時に寝て、8時に起きた。ものすごく快調らしい睡眠時間であるが、23時就寝は体の怠さのため。少し熱っぽく、関節が痛い。あと腰とお尻が痛い。これは座っている時間が(つまり姿勢の悪い時間が)長いためだと思う。このまえN久保くんが「俺はお尻が薄いからお尻が痛くて死ぬ」というようなことを言っていた。ぼくもきっとお尻が薄いのだろうと思う。いつかぼくにも、お尻が痛くて死ぬときがくるのだろう。そのときは水を入れたペットボトルを持っていこう。

8月9日に、東京でコンピュータビジョン関連の変態勉強会がある。コンピュータビジョンの変態を勉強する会、ではないので注意が必要である。しかし大差はないようにも思われる。実はお金があまりないぼくは、六千円ほどの夜行バスで移動することになるのだが、8月8日の夜行バス(JRの定番、ドリーム号あたりが)軒並み満席というていたらくであった。仕方がないので昼行バスのチケットを購入した。14時ごろに大阪を出発し、20時ごろに東京へ到着する。ぼくはその間、のんびりと車窓をながめながら輪講資料の準備(英語論文の翻訳)にいそしもうというわけである。たぶんビールとか買って昼酒しちゃうのだろうけれど。

ぼくが車という移動手段を極端に嫌うのには、大きく3つの理由がある。
『移動しながら別の作業ができない』『アルコールが飲めない』『高慢な感じがする』
アルコールを除く2つの理由については小学生のころには意識されていたのを覚えている。ぼくにとって移動時間というのはイコール読書時間であった。読書できない移動時間なんてものは、睡眠障害な雌牛のクシャミほどの役にも立たず、それこそ移動しない方がマシなのだという評価だった。これは当時のぼくの評価であって、絶対的にこうだという主張ではないということを述べておく。

IVRCのミーティングがあり、I垣くんとぼくは波紋をプログラミングすることになった。プログラムの仕様を考えるのは楽しい。もしかしたらコードを書くことよりも楽しいかもしれない。ぼくはプログラマ向けではないのだろう。
夜はプログラミング演習の課題をやった。自動販売機のシミュレーションを、見よう見まねのjavaで書いた。なんとなくでも書けるのがすばらしい。ある問題を、適度にシステマティックでロジカルな方法論で解いていくのは気持ちがいい。パズルゲームのようなものだろう。

レポートを書きながら、ニコニコの料理動画とウテナを少し見た。自宅でのデュアルディスプレイは効率が下がる。サブディスプレイで動画を再生するためだ。

posted on 2008-08-02 08:16 | Tags :

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1008

2008-10-12

就職した友人が帰ってきたので、飲み会。
何か、「この思考がそのまま何の手続きもなしにネット上に公開されれば良いのに」と思えるような何かを思いついたのだけれど、忘れてしまった。欠片も思い出せない。

今夜は空が高かった。昔の友人が「空が高いね」と言っていたのを思い出した。当時のぼくは空の高さなんて考えもしなかったので、彼女の発言に衝撃を受けた。なんてきれいな思考だろう。なんてきれいな言葉だろう、と。
椎名林檎は今でもシドのことを思っているだろうか?

ハイロウズの歌にある詩を思い出す。
「つき指をすれば 痛い/してないときより 痛い/
痛いけど 死ぬほどじゃない/それほどじゃない」

駅から家まで、歩いて二十分ほどの道程。

posted on 2008-10-13 08:06 | Tags :

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