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生きてます大学院生22歳

生存確認以外に書くことがなくなってきました、ごめんないさい。

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えーっと、大丈夫です。主に野菜しか食べてませんが生きてます。
なんか「入試のときにブログに世話になりました」とか言われたりしてテンパってますが、大丈夫。
新しい友達を、だいたい20人ぐらい作りました。素晴らしいですね。ぼくは素晴らしいですね。

人の名前を覚えるコツは、その人を他人に紹介することです。
あと名前を連呼する。指差し確認する。JRみたいに。

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典型的な新大学生のように、入学の週は毎日飲み会なのです。たとえじゃなく、酔っぱらってベッドに倒れ込まない日はありません。
でもぼくは大学院生です。理系院生なのです。これじゃあ駄目ですね。

来週から頑張るよ。本当だよ。ちゃんとするよ! しゃんとするよ!

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『暮らす』と、いろいろなことが変わります。
一人暮らしではないのです。カギ括弧付きの『暮らし』です。

たとえばぼくの場合は、くるりの昔のアルバムを聞き直したり、春樹の初期作を読み直したりしています。
それらにいちいち感動したり、新しい発見をして打ち震えたり、
音量を上げたいがためにヘッドフォンを装着したりしている毎日です。
そういう変化が起きます。感覚的な意味でね。

ぼくは本当に、もっと早くに、一人での暮らしを始めるべきだった。
いつか書きましたが、ぼくは「自分の年齢で経験しておくべき事」を素通りしてしまうことを、けっこう大きい損失だと考えています。恐怖といってもいいかもしれない。やることやってこその成長なんですね、なんだかんだ言ったって、実際のところ。
ぼくは戦争や革命はやっていませんが、それなりに学業や恋愛やイザコザを経過しました。ノルウェイにある谷のような時期や、粘度の高い液体に閉じ込められた空気胞のような時期もあった気がします。自転車に乗った村上龍のような感覚的ドロヘドロな時代もあったかもしれません。結果論ですが。
世の大学生はすごい。ぼくはリア中を尊敬しています。あいつらすごいわ。

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毎日、楽しくてたまりません。
喉元に突き立てられたボールペンにもぼくは「愛してるよ」と言う。

入院しました

大学院にな m9(^Д^)

暮らし始めるのってちょう金かかるのなー。
まあ快適だよ。やはり白熱球に限る。
水とかバナナとか食って生きてます。
外食やっぱしんどいなー。疲れるんよねあの味付け。
あとサラダ食いたい。包丁どころか皿もないけれど。

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このまま一年くらい経てばいいのに、とも思う。
来週から授業があったり、再来週には研究室に配属されたり
とか言ってたら就活はじまったりして
論文書いてどっか行ったりしたりして
たぶん今が、当面は最後の暇(いとま)なんだろうなーなどと考えたり
でも今日は物のなくなった実家で本読んでる。

RSSも一週間近くチェックしていない。
このまま習慣から外しても問題ないような気がしてくる。
ネットなんて誤差みたいなもんだろとか思えてくるから不思議。
パソコンって面倒くさいよね。

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一駅向こうのデパートまで、歩いて片道30分かかる。23時までやってるんだ。
けっこうな速度で飛ばす車が多い道に取ってつけたような歩道には、街灯は少なく暗い。
歌でも歌えばすぐに着くだろう。そういうときに限って歌うべき歌がうまく浮かばないものだけれど
ここ一年くらい聞いていないはずのくるりの曲がスラスラと口を突いてきたのには
なにかわけがありそうな、なさそうな、そんな気がしたり、しなかったり。
ぼくは天才的だと思ったり、思わなかったり。
23時過ぎに帰って食ったレンジピラフは死ぬほど旨かった。

現国の時間に講義と違う本を読んでいるような女子大生

長くなったので記事に分離。

痛いニュース(ノ∀`):中国のゲーム会社が「ファイナルファンタジーⅦ」をファミコンに完全移植

権利関係を抜きにすれば(抜きにできることではないけれど)評価できるなーと思ったのだけれど、ムービー見て膝が折れた。高度成長時に日本も結構むちゃやってきたことも考えて、中国の一連の騒ぎは一方的に罵倒できることではないとは思う。あまりにも聞き分けのない政府の対応が一番の問題かー。

日本のときは生産効率と品質および技術革新の時代という背景の中での発展だったのだけれど、そこにITが加わっている、しかも他の先進国との開きがより大きい今の時代におけるカギカッコ付きの『発展』『経済成長』ってものがどういう形で進んでいくのかに注目してる。日本のそれは全く違ったものになると思う。

個人的な皮膚感で言うと、ピラミッドの頂点を比べた場合にWeb技術については日本より中国の方が上を行ってると思うのね。中国はピラミッドむちゃくちゃでかいけどなー。Webにおける「見せ方」あるいは「魅せ方」という点において、中国サイトってかなりいい仕事してるところが多いように思える。コンセプトデザインでもいいの多いよね。企業で取り組んでいたりして。

大学全入あたりの文化がまずいんじゃないかなーと、ぼんやり思う。一般的に、日本の大学生って勉強しないしね。ぼくも含め。ばんばん落とす代わりに落とした後のフォローはもうちょいちゃんとやらせてもらいますよーっていう方向性が妥当かなあ。最高学府なんだしさ。そして落とされたぼくは職人を目指す。

「最高学府≠東大」なので注意。最近そういう誤用を目にしたので。

学生的な意味での勉強は好きじゃなかった。「ここは人数が多いからぼくが何やっても絶対に勝てない人がいる」というようなことを思ったので、職人になろうと思った。藍染めとか、酒蔵とかね。小さい世界の方が好みなので、そういう世界で生きていける『業(わざ)』を身につけて、のんべんだらりと暮らしていきたいもんですね。そういった業の余暇として、読書やプログラミングを楽しみたい。

自分にとってプログラミング遊びっていうのは、そういう位置づけがされている。ぼくはどうやら職人にはならないっぽいので、ぼちぼちどうやってご飯食べるか考えないといけないですね。ぼくの好きな言葉に、「ライフワークとライスワーク」というものがある。ライフワークは人生を楽しむためのもの。ライスワークはおまんま食い上げにならないためのもの。ぼくのライフワークなんて、全く稼ぎにはならないし、むしろ出費がばかにならない。けど、やる。あーバイトしないとなー。

現国の時間に講義と違う本を読んでいるような女子大生は大好きです。

恩地くんの話。あるいは若き日のぼくがなぜブログを書くようになったのか。

恩地くんの話をします。

恩地くんとぼくは高専時代の同級生です

15歳のころ、高専一年生のころに恩地くんとぼくは出会いました。

恩地くんと初めて喋ったときのことを、ぼくは全く覚えていません。
入学当初というものは出席番号で席順が決定されることが多く、その席順において近くの席に座っている人たちがおずおずと交流を始めていくような感じだとおもうのですが、恩地くんとぼくは特に出席番号が近いわけでも席が近いわけでもなかったと記憶しています。

当時の恩地くんも、当時のぼくも、人付き合いを始めるのが苦手で、誰かから話しかけられるのを待っているようなタイプでした。そんなぼくらがどうやって友達になったのか、今となってはもう、恩地くんに尋ねることはできません。

卒業アルバムの始めのほう、一年生のときの写真がまとまっているページには、恩地くんが写っている写真があります。
その恩地くんの顔は、ぼくの記憶と一寸も違いません。

恩地くんとの対話

恩地くんとぼくが会話するときは、そのほとんどが1対1の会話でした。でも恩地くんに友人が少なかったのかというとそういうわけでもなく、ぼくと仲の良い友人グループに属している、という感じでした。

恩地くんはパソコンを自分で組み立てたりする人でしたから、ぼくの友人とCPUのクロックアップやメモリの価格について、わけのわからない話をしているのを見たことがあります。しかし、どうしてか恩地くんがぼく以外と話をしている姿はぼやけていて、あまりうまく思い出すことができません。

恩地くんとぼくが何の話をしていたかというと、それもやはり記憶があいまいです。コンピュータの話が多かったと思います。恩地くんはビルゲイツが好きで、彼の携帯のメールアドレスはそれをもじったものでした。
そういえば、恩地くんは最後まで携帯のアドレスを変更しませんでした。そこに何かこだわりがあったというよりは、単に機会がなかっただけなのだと思います。

恩地くんの友達

五年生(20歳のころ)になっても、半年に一度ほど恩地くんの話題が出ることがありました。

あるとき、当時からの友人から、恩地くんと一番仲の良かったのはぼくだったというようなことを言われ、とても驚きました。ぼくとしてはそんなことを考えたことは一度もありませんでしたし、ぼくが恩地くん以外の友人とも楽しくやっているように、恩地くんもぼく以外の友人と楽しくやっているものだと思っていました。
実際にはそうでなかったのかもしれませんし、やっぱり友人の思い違いなのかもしれません。

わざわざこんなことを書いているぐらいだから恩地くんとぼくはすごく仲が良かったのだと思われるかもしれません。しかし実際のところ、ぼくらが話をする機会はそう多くはありませんでした。

恩地くんと自転車とシャツ

恩地くんは毎日自転車で学校に通っていました。
ある日教室で「毎日自転車で長い距離を走っていると、ここの毛がなくなる。チクチクする」と言って、制服のスラックスを無理にたくし上げ、太ももを見せてくれたことがありました。

また、恩地くんは普通の制服のポリエステルの入ったシャツではなく、少しくすんだ白をした綿のシャツを着ていました。
ぼくは恩地くんが綿のシャツと黒いスラックス以外の服装をしているところを見たことがありません。
もしかしたら学園祭や部活で一度くらい見たことがあるのかもしれませんし、冬はシャツの上に詰襟を羽織っていたはずなのですが、それはきっと印象に残らないようなものだったのだと思います。

恩地くんはいつも綿のシャツでした。

彼の哲学

恩地くんは授業のノートを、無地のルーズリーフに取っていました。当時のぼくには、それがとても格好良くみえました。

あるときのぼくは、授業のノートをシャープペンシルではなく径の細い黒ペンで取っていました。恩地くんはそれを見て「いいねそれ」と言い、彼自身も黒ペンでノートを取るようになりました。
ぼくはそのことがとても嬉しく、誇らしく思ったのを、とても鮮明に覚えています。

恩地くんが勉強が出来る方だったかどうかについては、よくわかりません。

試験が三科目あるような日でも、「俺は地理だけは完璧。なぜなら試験範囲の教科書を丸暗記した。他はやっていない」と言ってしまうような人でした。
そのときの恩地くんの試験結果についてはわかりません。
ぼくは実は恩地くんは丸暗記なんてしてなかったんじゃないかなと思っています。

いなくなった恩地くんと残された彼のシャツ

二年生の夏ごろから、恩地くんが学校を休むことが多くなりました。
理由は知りませんでした。友人たちも知りませんでした。
恩地くんの椅子には、彼がいつも着ている綿のシャツがかかっていました。
それはいつの間にか、彼の机の中に押し込まれていました。

最前列の席は学生に人気がないので、必然的に恩地くんの席は教卓の前に配置されたりしていました。
後ろの方の席からは恩地くんの机の中が見え、その中に綿のシャツがくしゃくしゃに押し込まれているのが見えました。
後日の話では、当時の友人たちは机の中に押し込まれた恩地くんのシャツについては良く覚えているようでした。

ぼくらは二年生になり、三年生になりました。
恩地くんは三年生にはなりませんでした。
明らかに出席日数が足りていなかったので、ぼくらはやっぱりなと思いました。
彼のシャツがどうなったのかはわかりません。

もうひとつ、恩地くんの残したもの

一年生の五月頃、恩地くんとぼくが交流を持つようになって一ヶ月ほどしたころのことです。
恩地くんもぼくもインターネットに落ちている面白いことが好きだったので、URLを貼ったりローカルな話題をまったりと楽しむ目的で、レンタル掲示板のアカウントを取りました。

恩地くんは『XEON』というハンドルネームでした。XEONとはインテル系CPUの名称で、その読み(ジーオン)が自分の名前をもじったものに近いから、と彼は言っていました。
ぼくの当時のハンドルは、『まーもー』だったと思います。

その後、掲示板へのリンクを貼ったホームページが作られ、日記、テキスト、リンク集などの定番のコンテンツが加えられていきました。2001年のことです。
掲示板には他の友人たちが加わり、妙な縁が形作られていきました。
ぼくが初対面の人に「『まーもー』の人かー」などと言われるようになったころ、恩地くんは次第にフィードアウトしていきました。

ぼくはとりあえず、何度か途切れたり、ブログを何度か移転したりしながらも、書き続けてみました。
それはけっこう楽しい行為だったので、七年ほど続くことになりました。

恩地くんのカラオケ

そういえば一度だけ、学校帰りに恩地くんとカラオケに行ったことがあります。
恩地くんは、低い声で、マジンガーZを歌っていました。

そのときのことはもうほとんど思い出せないのですが、学校帰りだったということだけは覚えているので、
きっと恩地くんはあのときも、白い綿のシャツを着ていたのだろうなと思います。

『動揺』をプログラミングしてみた

どう‐よう〔‐エウ〕【動揺】

[名]スル

1 ゆれ動くこと。「強風で船体が―する」
2 心や気持ちがゆれ動くこと。平静を失うこと。「事故の知らせに―する」
3 社会などが秩序を失い乱れること。「政界が―する」

大辞泉より

動揺

kokyu.JPG
画像クリックで飛びます。(先に『呼吸 ver.js』をごらんになることをお薦めします)

『呼吸』の派生版。
ぬるぽ→がっ という感じで作った。

動揺は感情ではなくて精神の状態だと思うのだけれど
『感情』と『精神の状態』はどう違うんだろう?
感情で話すことと、感情を話すことは、どちらが大切なんだろう?

そんな思いをjavascriptに打ち込んだら、こんなものができました。
嘘です。

解説

ゆらぎを再現するためのアルゴリズムとして、間欠カオス法を用いています。
via: 1/fゆらぎ

X(t) = 0~1として

X(t)<0.5の時
X(t+1) = X(t) + 2 * X(t) * X(t)

X(t)≧0.5の時
X(t+1) = X(t) - 2 * (1-X(t)) * (1-X(t))

という非常に簡潔な式です。

初期値として与えるX(0)の値によってゆらぎパターンが大きく異なります(安定となるパターンもあります)。
今回は初期値をランダムで与える方式を採りました。
ページを開くたびに、ものすごく動揺したり、物怖じしなかったりします。

いい動揺ができた人はラッキーですね。

SpeCial THanKs 渡邊恵太氏

呼吸

呼吸

kokyu.JPG

画像クリックで飛べます。

渡邊恵太のWebページ|persistent.orgのページ内、MediaLab作品の模倣(CSS/Javascriptでの実装)。

個人的にすごく衝撃を受けた作品だったので、最近Javascriptを触ったときに「ああこんな便利な関数があるんだなあ。じゃああれ実装できるなあ」と思って、その勢いでやってしまった。ここに感謝の意を示します。ちょう尊敬!

単純な明滅に、情報が乗り、感情にデコードされる。意思めいたものすら感じる。じっと見つめる。線が消える。現れるまでの時間が、気のせいか先程よりも長い。不安?
ぼくはこれを模倣して(つまり、約一画面分のコードを書いて)、また新たなことに気づいた。
書かないけど。楽しい。

すごく考えさせられるところの多い作品。

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